子供との生活が当たり前になった
子供が病気になって、生活の主体が育児になった。
育休とか限定的な期間ではなく、この先ずっと。
友人のワーカホリックが(彼女に似つかわしい形容詞は<ワーカホリックの友人が>ではないw)
「子供とずっと一緒にいるより働いて距離を保った方が、子供と上手に付き合える。」「モモは絶対家庭に収まることが幸せなタイプではない。」と言い放った。
あれから数か月。
保育園に預けていたら見られなかっただろう日々の成長を見守られて、幸せじゃないとは思わないけどね。
けどね。
けどね。
先輩からのメール
先日久しぶりに先輩、というか学生時代かぶってないOGからメールが届いた。
飲みに行かないかと、相変わらずだ。
場所が遠かったのと、夜がかなり遅くなることが予想されたので今回は断念することにした。
んで、本題。
「そろそろシャバに戻ってきませんか!?」
シャバってw
ファーストプライオリティについて悩む
先輩は私が病気をしたと勘違いをしていたようで、詳細を伝えるとずいぶん驚いていた。
働くことは好きだ。子供も大切だ。
子供の病気がひと段落するまでは、子供に寄り添って生きていこうと思っているけれど、<家庭だけ>が自分の居場所とは結構所在ない。
毎日何かに追われていて、自分の時間なんて家事をおろそかにした上で(w)努力しないと捻出できないのに、承認欲求がうずいてみたり。
このままどんどん離職期間が長引いて、社会復帰が果たせなかったらどうしよう。
これは最後のチャンスでは!?
しかし、再就職を果たすとなると家庭内でいくばくかの犠牲を払わなければならない。
精神的であったり、肉体的であったり物質的であったり。
夫婦ふたりであればどう生きようが何も問題ない。
独立したふたりの大人なのだから、迷惑をかけないように生きていけばよい。
ただ、今は娘がいる。
痛い思いを(ちょっとだけ)して産んだ、全責任を負わなければならない娘がいる。
娘が病気で辛い想いをすることに対しての責任の所在は決して放棄してはいけない。
また、子供が入院したら付き添い入院をせず、出勤するという選択肢を私は選べるだろうか。
何とかなる、というか何とかする
子供の治療も終わってないし幼稚園に入れようとしているし、今は先が見えないなあ。
流されるままにここに来ちゃった感じ。
本当に自分の意志は失われてしまったかのよう。
子無し時代の私よどこへ行った!!!
自分が無価値と落ち込むときもあれば、仕事による精神的緊張から解放された毎日を喜ばしく感謝する日もある。
結局は隣の芝なのね。
本当に青々しいわ、隣の芝よ!!!
再就職するにも預け先等、現実的な問題がてんこ盛りなのですぐには行動に移せない。
またいつかチャンスが巡ってくるように努力をして、機が熟せば掴めばよい。
全ては娘が元気になってから、と先延ばしするちゃらんぽらんな私なのでした。
本日もお読みいただきありがとうございました!
消費でだけは社会貢献しているぞ!