タダモモの子育てお悩み相談室

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子ども嫌いだったのになぜだか母親になりました。主に、2015年1月生まれの持病持ちの娘の闘病記・育児情報のつもりが、ディズニーや主婦のつぶやきなど多岐に渡った雑記になってます

「お母さんなんだから」という言葉はこの上なく母親を追い詰める

Odai「2017年を振り返る」

娘の病気が判明して少し経った頃のはなし。

 

娘のこと、仕事のこと、将来のこと、すべてのことがパンク寸前で、一歩道を踏み外せば転げ落ちて、即死しそうなくらいの張り詰めた毎日を送ってい た。

全く平生とはかけ離れた精神で、感情を押し殺して毎日をやり過ごしていた。

どこへいても、何をしていても常に頭の中は不安と恐怖でいっぱいで、やり過ごす、って言葉がまさに当てはまるような毎日だった。

そんな中、ある人からこう言われた。

 

「もう、お母さんだから泣くんじゃない。」

 

お母さんだから苦しいんだ。

お母さんだから涙が堪えられないんだ。

お母さんだから責任の大きさに押しつぶされそうなんだ。

 

心の中でずっと叫んでいた。

話さなければよかった。

 

ある人とは職場で、普段は頼り甲斐があり姉御的な役割を果たしている先輩。

上司には事情をはなしていたものの、もう自身の中に抱え込めなくなった私は、藁にもすがる思いで胸の中に溜めに溜めた気持ちを吐き出した。

どうこうして欲しかったわけではないけれど、今、吐き出さないと感情がコントロールできずに、感情に支配されそうだった。

話し始めて間もなく、不意に涙がこぼれた。

返ってきた言葉は、「もう、お母さんだから泣くんじゃない。しっかりしなさい。」

もちろん、彼女なりの叱咤激励であったと思う。

普通の精神状態ならば、その励ましを受け入れ、感謝し、翌日から新たな気持ちで困難にたちむかえたかもしれない。

ただ、その言葉を受け入れるキャパは、私にはもうなかった。

彼女にとって、母というだけで全知全能の神に見えるのだろうか。

母だから苦しい気持ちを吐露したら、その汚物をすべて吞み込めと言われたような気がした。

それ以来、私のただでさえ重い口はずっと閉じっぱなしだ。

 

その話を思いがけず聞いていた後輩がいた。

自身も夫であり父親である。

そんな彼が話してくれたこと、それは母親を追い詰める言葉ではなく、母を救う言葉の数々だった。

直接的なことは何一つなかったが、それが励ましの言葉ということは言葉の端々からわかったよ。

ここですべてを話すことはできないけれど、ありがとう。

 

 

 

なんだ急に!?

って思われたかもしれませんが、下書きを整理していたら出てきたので公開しちゃいます。

今はもう達観しちゃったけれど、私にも先が見えずに不安な日々がありました。

削除してしまってもよかったけれど、これこそ胸のうちにしまっていたら、いつかどろっと流れ出てきそうで。

清々しい新年を迎えるために、ここに置いていきます。

恥ずかしくて削除しちゃいそうだけど!

 

本日もお読みいただきありがとうございました!

 

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